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Project Story 01

復興にかける社長の熱意に応えて再建計画をサポートする

鈴木 洋平 2002年入庫/仙台支店 営業第三課 課長 (現 神戸支店 営業第一課 課長)

その日、セーフティネット機能が動き出した

「地震発生時には上司とともに東京都内のある駅で移動の最中で、これまで経験したことのない長い不気味な揺れを感じました。鉄道がストップしたためタクシーに乗り換えましたが、社に戻るまで2時間以上かかりましたね。車の中で見た携帯電話のテレビ画面を通じて、大変な事態が起こっていることを知ったのです」
商工中金本店に戻るとすでに対策が動き出していた。被災地支援のための緊急体制が組まれ、食料などの救援物資が発送されて翌日には仙台支店に届いた。さいわい職員は全員無事であることが確認されたため、いち早くお客さまへの支援に全力を投ずることが可能だった。震災発生当日から即座に「特別相談窓口」を設置。被災したお客さまへの迅速な対応をスタートさせるとともに、お客さまの安否を1件ずつ確認していった。
被災地の被害は計り知れなかった。多くのお客さまが社屋や工場を、そして従業員を失い、会社存亡の危機に立たされていた。大災害や緊急時にセーフティネットとしての機能を担うという、商工中金のミッションをいままさに果たすために、被災地の職員たちは日々奔走した。特別相談窓口には期待と信頼から多数のお客さまが押し寄せた。しかし、相談件数は日を追うごとに増えて、人手が足りなかった。

復興に向けて立ち上がった社長をサポートしたい

「4月末に仙台支店への異動の辞令があり、赴任したのは5月半ばでしたね。最初は相談窓口を担当しましたが、さまざまな相談を通じて知ったのは、想像以上の被害と復興に対する被災地の方たちの切なる願いでした。その後、営業担当として気仙沼エリアの担当になったのですが、何とか被災地の役に立ちたいという思いが強まりましたね」
A社は60件ほどある鈴木の担当先の中で、気仙沼でもトップクラスの売上げを誇る水産物加工会社である。三陸沿岸エリアに複数の加工場と倉庫を展開していたが、そのほとんどが震災でダメージを受けていた。本社工場および倉庫以外の施設は、津波によって建屋が破壊され設備が使い物にならなくなっていた。A社長は茫然自失し一時は廃業を考えたこともあったという。しかし、壊滅した町の復興を目指し、何よりも多くの従業員の雇用を守って生活を立て直すためには、自分が頑張るしかない。その思いから何としても工場の再建を果たすことを決意。商工中金へと相談に訪れた。A社長は自分自身が強い使命感をもって作り上げた事業再建計画を示して、復興に向けた熱い思いを語り始めた。その熱意に鈴木は打たれた。
「地域や従業員のために立ち上がろうとする、人間的な大きさと強さに感銘を受けました。それが私たちにとっても頼もしく支援しやすかったですね。何とかしてA社長の思いに応えたいと思いました」

複数銀行の分担による融資を提案

2011年6月1日。A社の現状を把握するために訪れた気仙沼で、初めて目にした被災地の光景を生涯忘れることはないだろう。テレビを通じて何度も目にした光景ではあった。しかし、自らの足でがれきの山のなかに立ってみると、何一つ言葉を発することはできなかった。
「設備復旧には巨額の費用がかかることが見込まれました。一金融機関が単独で融資できる額ではない。そこで私たちが提案したのは、危機対応の一環として複数の銀行が協調体制を組み、工場や設備群ごとに役割分担をして融資を行うこと。国が行う災害復旧に関する制度融資も活用します。商工中金がどの施設や設備を担当するのか、A社側と協議を行い絞り込みました。皮切りはグループ会社の倉庫。その後、本体の工場と倉庫を順次再建していくことになりました」
問題は被災地復興の道筋が不透明である中で、いかに復旧に向けた説得力のあるシナリオが描けるか。鈴木はA社長、専務、経理課長らに対して綿密なヒアリングを行うことからスタートした。常にお客さまの声を掘り下げる。それが商工中金のやり方なのだ。